北米先住民の儀式がルーツ
ラクロスは17世紀の初頭の記録が残る北米最古のチームスポーツであり、北米先住民族(ネイティブ・アメリカン)の儀式がルーツと言われています。「神様への祈り」「仲間との絆を深める儀式」「部族同士の争いを平和的に解決する手段」として行われていました。
試合は時に数百人規模で行われ、数キロにわたる広大な土地を使い、数日間続くこともあったとされています。
このように神聖なスポーツとしての起源を持ち、心身を鍛え、仲間を尊重する精神が土台となっています。
この伝統的な競技が「ラクロス」と呼ばれる、名前の由来はフランス語の「la crosse(クロス=杖)」から来ています。
男女でルール化した国が異なる背景
近代スポーツとしてのラクロスは、19世紀のカナダで大きな発展を遂げます。1856年に「モントリオール・ラクロス・クラブ」が設立され、プレイヤー数の削減、ゴム製ボールの導入、スティックのデザイン変更といった近代的なルールを策定しました。これにより競技性が高まったラクロスは、1860年までにカナダの「夏の国技」となり、1904年と1908年にはオリンピックの正式競技として採用されるほど国際的な広がりを見せ始めました。
一方、女子ラクロスは1884年にカナダで試合を観戦したスコットランドの校長が、その「美しく優雅な」様子に感銘を受けたことから、自校であるセント・レナーズ・スクールで導入したのが始まりです。1890年には同校で記録に残る最初の試合が行われ、卒業生たちによってイングランドの学校へと伝えられていきました。
その後、アメリカへ渡った卒業生ロザベル・シンクレアが1926年に高校チームを設立したことをきっかけに、アメリカ全土へ人気が拡大。各国で協会が設立され、国際的なスポーツとして発展していきました。
日本では「学生がゼロから創り上げた」開拓者のスポーツ
日本でラクロスのチームが誕生したのは1986年。
慶應義塾大学の学生たちが中心となり、アメリカ大使館の協力を得ながらスティックや映像資料を入手し、独学で競技を始めたことが出発点でした。
翌1987年には「日本ラクロス協会(JLA)」が設立され、学生たちの情熱が各大学へと広がり、全国的な広がりの基礎を築きました。1988年には日本学生ラクロス連盟が発足し、組織的な活動が本格化します。
1990年代に入ると、関西・東海・北海道など各地で学生連盟が設立され、大学ラクロスの輪が全国に拡大しました。1994年には登録会員数が1万人を突破し、社会人クラブチームも続々と誕生。
1997年には東京で女子世界選手権大会が開催され、日本ラクロスが初めて国際舞台の注目を集めます。この大会をきっかけに、国内での認知度が大きく高まりました。
ラクロスは「自分たちで考え、道を切り拓く」という歴史があります。
既存の枠組みに乗るのではなく、主体的に行動する「自立型人材」を育むのに最適な競技といえます。
2028年ロサンゼルス五輪へ
現在、大学、クラブ、社会人、ジュニア世代など、競技人口は約1万人以上。日本代表チームも世界大会に出場するまでに成長しました。
ラクロスは世界95カ国以上に広がり、2028年五輪の追加競技にも決定しました。
小学生・中高生向けの育成にも力を入れ始めており、将来の普及が期待されています。急成長中のスポーツだからこそ、既存の競技のような「型」にはまりすぎず、自由な発想で個性を伸ばせる土壌があります。
なぜ、今「志道館学舎」でラクロスなのか?
ラクロスの歴史が示すのは、「精神の鍛錬(ルーツ)」と「主体的な創造(日本での発展)」です。

小学生から中学生という、人格形成において最も大切な時期に、この「開拓者のスポーツ」に触れることは、お子様の人生に大きな財産をもたらします。
「自分で考える力」が身につくスピード感溢れる展開の中で、瞬時に判断を下す力(クリティカルシンキング)が養われます。
新しい自分に出会えるほとんどの子がゼロからのスタート。
運動の得意・不得意に関わらず、努力が結果に直結する楽しさを実感できます。
志を共にする仲間「自ら道を拓く」というラクロスの精神を共有する仲間との出会いは、学校生活だけでは得られない成長を促します。

「変化の激しい時代を生き抜く強さを身につけてほしい。そして、自ら考え行動できる大人になってほしい。」
私たちはそう願っています。
歴史ある、それでいて常に新しい「ラクロス」に取り組むことで、子供たちの可能性を解き放ちたいと思っています。
















